最近3種類の単語カード作りに励んでいる。
一つ目は中国語の成語を覚えるため、二つ目は日本の諺が中国語のどの成語に相当するか覚えるため、三つ目はベトナム語を覚えるため。
小学館出版社の《中日・日中辞典》は良い内容だが、やはり載っていない諺や成語も多い。 そしてまた「あれ?この諺と成語は本当に同じ意味?」と疑問に感じる事が時々有る。
例えば日中辞典では「匙を投げる」に相当する成語は“束手无策”となっている。
確かに同じような意味だと思うが、日本語の「匙を投げる」は色々努力したが結局万策尽きた、という感慨が強い。 それに対して“束手无策”は最初からあまりやる気が感じられない気がする。私は日本人なので中国語ネイティブが実際どう理解しているかはわからないけれど。
そういう事をあれこれ考えているうちに、辞書作りというのは実はかなり大変なものではないかと思うようになった。 何故なら、言葉の定義は百人百様である。編集員が集まって一つ一つの単語の定義を協議して決めてもいざ出版してみたら必ずどこかから批判されるだろうという事が容易に想像できるからだ。
「私の考えるところでは、この辞書のこの内容には問題がある」などと日本語の某権威筋が分厚いレポートを送ってくる、という事は少なくないだろう。
辞書は「出版すれば、はい終わり」ではなく、版を重ねるごとにメンテナンスも改良もそれに戦いも必要なのだろう。
日本の作家《三浦しおん》の小説『舟を編む』は国語辞書に携わる人々を描いている。小説も面白いし、映画化された作品もとてもよく出来ている。言葉を学ぶ人はきっと興味を持って楽しめるだろう。
しかし、日本語の『一日千秋』に相当する中国語の成語が“一日三秋”なのは納得できない。
なんで数的誇張が好きな中国人がこんなに控えめなんだろう?
外教日記其の二《辞書を作る勇気》
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