外教日記01-【外教日記《変な学生》】

1)「《動詞字書形 + できる》」学生

  江蘇省にいた時の出来事である。ある学生が友達を連れてきた。日本語が上手な友人というから期待して会ってみたら、いやはやとにかくめちゃくちゃな日本語を話した。特に気になったのは《可能形》である。

例えば“我会讲日语”は「私は日本語が話すできる」と言う。私がそれは間違った日本語だと言っても頑として聞かない。こっちを睨みつけて「お前が間違ってるんだ」と言わんばかりに自信たっぷりに言う。“我可以买”は「買うできる」である。“我能游泳”は「泳ぐできる」だ。

そういえば以前もこんな学生に会ったことがある。彼らの悲劇は『日本語が下手なのに教えるのが好きで態度が立派な教師』に出会った事だろう。

最初に間違った知識で洗脳されてしまうと、後でそれを矯正するのがどれだけ大変かという実例である。

2)両親に感謝、でも自分は一切勉強しない学生。

私は学生に作文を書いてもらってはそれを細かく訂正して学生に返すという教え方をしている。

『両親』という題で作文を書かせると、ほぼ100%が自分の両親についての恩を書く。

私を育ててくれて有難う、父さん母さんは私の最愛の人です、というような内容である。

それはもちろん良いのだが、ではその学生が両親の恩義に報いるために大学で真面目に勉強しているかというと、そうとは限らないのである。

お前は今まで何をしてきたんだ?と聞きたくなるぐらい、3年生後半になっても簡単な日本語の能力が無い生徒がいる。ひどいのになると「あなたのお名前は?」という質問さえ理解できない。

子供を大学に通わせるのは簡単ではない。生活費や学費などを含めると両親が共働きでやっと、という家庭も少なくないだろう。

ましてやその学生が一人っ子のしかも男の子だと聞いたら、両親が可哀想に思えて仕方がない。

どうやって彼は将来両親を養っていくのだろうと。

3)学力差関係無くなんでも混ぜてOKの担当者

これは学生ではなく企業担当者の話である。

大連ソフトウェアパークの某企業へ講習で行った時の話だ。日本人担当者は言った。

「《あいうえお》もわからない初心者と、N1レベルの上手な社員を一緒に教えてほしい。中間のレベルで教えてくれたらいいから」

将来日本語教師になりたい生徒に忠告したいが、こんなバカな要求をする企業担当者は多いのだ。

これはつまり《小学生と高校生が一緒のクラスにいる。だから中間の中学レベルの授業をして欲しい》という事に等しい。

なんの意味があるのか?。小学生には全然意味がわからないし、逆に高校生にとっては簡単過ぎて退屈極まりない。

その企業担当者はコンピューターエンジニアだった。だから今から思えばこう言ってやればよかったと思う。「コンピューター初心者の人間と経験豊富なプログラマーを同じ教室に集めていったい何を教えるんですか」と。

日本語教師も楽ではないのである。