長城有情

孟姜女は秦代の女性。
長城建設の為に徴集された夫を慕ってはるばるやってきたが、夫はすでにこの世の人ではなかった。
その場で孟姜女が泣き伏すと壁がくずれ落ち、現れ出たのは人柱にされた愛しい夫の白骨。 遠い昔のお話・・。
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大ユーラシア連邦の分裂はもとはと言えばある二つの国が進めようとした画期的な新国家建設案が発端であった。
国境を接するわけでもなければ宗教、言語、人種すべてにおいて異なると思われていた地球の裏側どうしの二つの国が植民、被植民の関係ではなく対等に合併する。
人類史上始まっていらいの出来事であった。
なんの共通性もないと思われていた二つの国であったが、新しい遺跡の発見は両民族が古代において兄弟以上のつながりを持っていたことを如実に証明していた。
さまよえる民族、と何千年にわたり世界の異端児的存在にあまんじてきた片方は新たな同胞の出現を喜び、今や日沈む国となっていたもう一方は商才たくましい親戚にパートナーとしての頼り甲斐をおぼえた。
しかし本当に動機となったのは甚だしく違った身内だからこそより深く理解したいという双方の国民の素直な願望だったかもしれない。
ある意味では新世界秩序への実験ともなりうるこの融合は、だがお互いが異なる経済ブロックに属していたことから後世「ロミオジュリエット戦争」と呼ばれた悲劇を招いた。
そして人々はそれを一抹の願いをこめて人類最後の戦いとも呼んだ。 ...
メイホワは部隊と離れ砂漠をさまよっていた。
銃口のそばで髪に飾った赤い花がゆれる。
湖は移動していた。
西へ西へと進んだメイホワに間違いはない筈であったがあたりの情景は推測とは似ても似つかぬ砂の連続であった。
ここを越えていこう。
メイホワに迷いはなかった。湖底が干上がっていることはかえって幸いといえる。
このあたりの征空権は成層圏にいたるまで敵軍のものであったけれどそんな事は気にはならなかった。
なんであたしは歩き続けるんだろうか。
戦略上で明確な目的を所有するがゆえに逆にメイホワはそれを唯一の目的とせずがむしゃらに進み続ける自分をいぶかしんだ。
太古なら・・っとメイホワはその頃とかわらぬ夕陽に思いをはせた。
人々は魔物の暗躍に恐れおののき漆黒の暗闇を避け難い時間としただろう。
けれど今、科学は植物と同じように光と水からでん分を得ることができるようになった。水は大気から無尽蔵に抽出出来る。
エネルギーは核融合がこの世の最後までも保証していた。
生物が生きてゆくになにも不足はなかった。
ただ生きる意味だけを人は知ろうと望んでいたのだ。

メイホワは重要なことを忘れていた。
戦いを有効に進めるためすべての兵士は記憶の一部を改造されていたのだ。 砂漠をはさんで対峙する二つの軍がかつて同じ国家集合体に属していたというアトホームな記憶は戦う道具としての兵士にとって有害無益なものでしかなかった。
消された記憶。
それはメイホワが何故この戦いに志願したか、なぜに西をめざすのかにもつながっていた。
だが記憶の一部を末梢することは容易でもそれを隙間なく別の何かで埋めることは難しい。 相手国にかかわる思い出の全てが知らぬ間に無味乾燥なものに置きかえられたがそれは完全とは言えなかった。
メイホワはもとより記憶が削除されてしまった事実を知るわけでもなかったが、心のどこかに自分を駆り立てるなにかが存在することに気づいていた。
なんなんだろ。
思い出す限りにおいてメイホワが西方へ出かけた事はなかった。けれど西へ近づくにつれ言い知れぬ懐かしさが感情を支配するのを感じた。
いつ敵が現れてもおかしくない戦場だというのにね。メイホワは星あかりが区切る地平線をぼんやり眺めた。
ふいにかつてメイホワの祖先が築いたという超無意味な土の壁・・それはピラミッドと並び世界の2大愚挙とされていた・・が遠くに浮かんだ。
星空の下で蜃気樓・・。
そんなこともあるのかもしれない。かつてこの砂漠には本当に魑魅魍魎がいて旅人を食らったのだろう。その白骨だけが道しるべとされた時代はほんの二千年前である。
もしも神や悪魔が他の次元に住む違った実在ならばそれくらいは一瞬のまばたきにも匹敵しないだろう。
またいにしえには壁を造るためだけに人生を費やした多くの人々がいたという。
厳寒の山頂から酷暑の砂漠にまでも到る長い長い石の城。苦役の果てに倒れていった彼らの霊魂が幻を見せているのかも知れない。
赤外線探知機に反応しないその有り得ない建造物のシルエットをメイホワはしばらく眺め続けた。
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紀元前戦国時代。
メイホワが一族とともに燃えさかる王宮から逃げのびれたことは奇跡であった。
秦の兵団はあたかも地の底から湧きあがったかのような暗黒の鎧に身をまとい人の心のかけらもなく破壊と占領を繰り返した。
猛烈な秦の攻撃に対して果敢に最後まで城にたてこもり戦い倒れたと思いこんでいた夫が捕らわれ長城建設のために使役されている事を風の噂に聞いたメイホワの驚きと喜びはいかばかりだったろうか。
あの人がまだこの世に生を保っている・・。
秦の始皇は一方で強力な矛を他国に向けながら征服した地の国民を牛馬よりも簡単に使い捨てて長大な盾を全土に建設しようとしていた。
人と人のつながりを阻害する他になんの意味もない長城。メイホワにはそうとしか思えなかった。
王族の一人であった夫がいまは身分を隠し奴隷達と同じ糧末によって飢えをしのぎながら裸足で土にまみれ煉瓦をひとつまたひとつと運んでいる。
メイホワにはその煉瓦の重みが自分の苦しみとして感じられた。けれど彼女には希望があった。あの人ならきっといかなる困難にも打ち勝ち生き延びてゆける。
王国を再興するために,そしてなによりもまず愛する私のために。

夜明け近くマイクロ生体維持装置が非常パルスを発しメイホワは目を覚ました。
目を覚ました時もあの石の壁,長城と昔の人々が名づけたそれが遠くにかなえてそびえていた。消えない蜃気樓。
待って,あれは。
メイホワの判断は一瞬だった。その長大な構造物の幻はゆっくりとこちらへ近づいてくる。 あれは古代の遺跡などではない。あれこそ敵の主力移動要塞「ウォール」。
速射レーザー砲の洗礼がメイホワのまわりに砂柱をたちあげた。
ミノフスキー粒子がばらまかれていなければコンピュータ射撃が目標をはずす筈はない。メイホワの身体はとっくにプラズマ化消滅していただろう。
かろうじて助かったが,エネルギー兵器が使えないなら次には目視誘導ミサイルがやってくる。
たった一人の武装歩兵が小国家の総軍事力にも相当するほどの火力を持つ移動要塞と対抗する方法をメイホワは今即座に思いつかねばならなかった。
あたりは砂漠である。メイホワが身を隠せる場所などどこにもない。
死んだふりしてやろうか,メイホワはマジでそう思った。 彼女の国が生んだ世界で最も有名な戦術家はまず戦わない事を最良の方法と説き,次に逃げることをためらうなと説いた。
もし剣や徒手でのみ戦争が戦われるなら自分達の祖先はとっくに世界を制服してただろう。メイホワは唇を噛んだ。
メイホワの家系は代々武術を伝えることで時の皇帝に仕えてきた。一族の女性の中にはそれがつながりとなって皇族と婚姻したものもいるという。
おそらく遠い先祖であるその彼女も自分と同じじゃじゃ馬娘だったに違いない。メイホワはその話を聞いた時そう感じた。それとも夫に仕える貞淑な妻だったのだろうか。
感情をさしはさむ余地ない要塞「ウォール」の火器管制プログラムはスケジュール通りに次のミサイルを発射した。
目標はメイホワである。
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どうすればあの人のもとへたどり着くことができるだうか。
秦の暴兵が我がもの顔に跋扈する城内の市場で,メイホワは先祖伝来の薬草を売る細商いをしつつずっと夫にめぐりあうそのことだけを考えていた。
メイホワにとっての望みは秦の始皇が行おうとしている長城建設の事業の中身であった。 人類史上未だかつてない最強の暴君はそれまでに各諸国が方々に造っていた城壁を一つに繋合わせ巨大な要塞帝国をこの世に築こうとしていた。
それならば。
メイホワはけなげな決意を心に秘めた。
三千里千万里も厭わずその長城を辿ってゆくならばいつかは夫のいる場所に行きあたるであろう。たとえどれほどの年月がかかろうと。
夫を苦役に陥れているその事が皮肉にも二人に再会の可能性を与えていた。 現実の険しい山河風雪酷暑などものともしない想像の翼は,しかし旅の商人の一声でその飛翔を遮られた。
「いい竜骨が手にはいったんだが」
秦による全土の征服と統一がただひとつ民に益をもたらしたとするならば遠い他国の物産品が容易に流通するようになったことであろうか。
地大物博という言葉をメイホワも聞いてはいたがこれほどのおびただしい珍品奇品がこの地上に存在するとは思いもよらなかった。
不老不死の妙薬を皇帝が血道をあげて求めていたこともあり,なによりも盛んに取り引きされだしたのが薬品であった。
自分の調合した秘薬を愛しい夫に飲ませることをメイホワは幾度も夢に見た。
しかしそれは許されなかった。
有史上いまだ現出したことない厳格な法治体制が時の宰相である李によって敷かれていたのだ。
後世,天才政治家とうたわれた李であったが少なくとも二千年は生まれるのが早すぎたかもしれない。 またその人が授かった生涯は彼の理想を完成させるにはあまりにも短すぎた。
立法による秩序の確立を目指した彼は気づいていなかった。法が秩序ではなく束縛となってやがて己の身を滅ぼすはめになろうとは。
近代的三権の分立を彼は頭から胴が離れる間際に思い得ただろうか。
メイホワがもし法を冒し出国すればもちろん同じ運命が待っていた。けれどその危険を冒す日はすぐそこまで来ていたのだ。

要塞「ウォール」の発射したミサイルに対しメイホワのアンチウェポンスーツはおとりの為の小型熱源体を射出した。
10数メートルの至近距離で起こった熱原体の目もくらむ発光は,熱誘導兵器に別の目標を与え,目視兵器には確認を不能にさせる効果があった。
ミサイルはメイホワを直撃せず少し離れた砂地に着弾した。
柔らかい砂が爆発エネルギーの大部分を吸収したがそれでもメイホワの小さな身体は宙を舞った。
衝撃によって鼓膜が破れないよう口を強く閉じていたメイホワは身体にダメージを受けていないことを認めるとすぐさま次の行動に移ろうとした。
玉砕か降伏か。
死など恐れてはいないと言える自信はあった。今もそう言える。 けれどそれまで心にひっかかっていた自分がなぜ西をめざし進みつづけるのかという疑問,その理由をまだ知りえないでいることだけがメイホワに生きる執着を与えた。
防御用熱原体のストックはもはやない。もしも降伏するなら敵が彼女の生体反応を察知し次の攻撃を始める以前に判断しなければならない。
だが迷う余裕はないとメイホワの頭脳よりもまず反射神経がいち早く判断した。彼女の手は銃を掴み次に飛来するであろうミサイルを撃ち落とそうと身構えた。
出来ないまでもやるしかない。
メイホワのそれまで生きてきた長くはない生涯がホログラフィのように彼女の脳裏に浮かんだ。 両親の愛情に育まれ満ち足りていた幼き頃、ソフトボールに明け暮れた学生時代,そして卒業と入学,そして・・。
突然,記録フィルムの再生がとだえ,暗闇にからからと音をたてたまま彼女のスクリーンにはもはやなにも映らなくなってしまった。
ある時期の記憶がなぜか消えてしまっている。いったいあの頃自分はなにをしていたのだろう..。
その時だった。メイホワは遠い砂漠のかなたに新たな蜃気樓を見た。
それは古代衣裳を纏ったまるで自分とうり二つの女性。彼女はかすかに微笑みながらメイホワに語りかけた。
「まだ..死んではなりません。」
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はるか時代を下り700年あまりを経た唐代,同じように国法を破りこの世の果て天竺へ経典を求める旅に出た若い無名の仏僧はやがて皇帝から両手を広げて迎えられる最高の栄誉を担った。
メイホワを今その後世の殉教志願者と比較するなら,それは二人が辿った旅の行の困難よりも,むしろ道中を照らす希望の星の輝く度合においてすべきであろう。
後の世の人々の多くは,夜空にきらめく成功という名の1等星に畏敬の混じった賞賛を与える。
そしてただ僅かな人だけが同じほどの勇気と意志を有しながら誰にも認められないまま消えていった無数の流れ星達の事を想うのである。
メイホワは輝けるだろうか。
もちろん彼女の勇気と意志にも足りぬものはなかった。 ただやみくもに長城をめざすのではなく,異国の旅商人から風の噂に聞いたのは夫が遠い西の辺境にいるのではないかということであった。
昼夜を分かたずいつ終るとも知れぬ長城建設。そのどこかで王の血を受け継ぐ者が苦役に服している。 そしてなんと信じられぬことにその者は大切な自分の糧を仲間である奴隷身分の者たちに分け与えているという。
夫に違いない。
メイホワは神に祈った。どうかめぐり会わしてくださいますように。
しかし今のメイホワは,その目的の為ならば神に無断でこの世を売り渡しかねない天女にもなりえただろう。
メイホワは西に向かった。
たとえ私のこの黒髪が雪のように白く千丈に伸びるほど道がけわしく遠かろうと,きっと待っていてくださるわね。あなた。
どこからか夫の声が聞こえたように思えた。きっと待っていると・・。
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メイホワの生涯をもしも絵巻物にするならその旅の一章は視覚上もっとも単調でもっともつまらない一章となっていたであろう。
描けるものと言えばたった一頁のどこまでも続く果てしない荒野。けれどその一頁がいかに長く過酷なものであったろうか。
もはや我が身の感覚さえなくなってしまった足,それでもその一歩が最愛の夫の元へ近づくための一歩だとメイホワはただ進んだ。
実際,彼女の心は流れる白雲の彼方だけを追い,身体はただそれに曵かれるようにつき従ったと言ったほうがよいかもしれない。
苦難の長城行もようやく終わりを迎えようとしていた。
メイホワは広い広い心を持った女性。 地平線を切れ目なく縁どる長城を間近に目の当たりにした今も壁というものの存在に感じる窒息しそうな印象はかわりはしない。 壮大な閉所恐怖症。
けれど一つ一つの煉瓦の積み目が見てとれるほど近づくにつれもう一つ別の感情が彼女に湧き起こってきた。
人が自らの命を賭してなにかを創ることの重さ。ただ単にそういうものなのかも知れない。
あるいは巨大な力が一つのあまりに単純な目的につき動かされる時の狂ったような美しさ。そういうものでもあるかもしれない。
長城は今たしかにそこにあった。それは壁であるとともに一筋の道のようにも思えた。
メイホワは夫がその優しい手もて運んだかもしれない冷たい煉瓦の肌ざわりにしばし心潤った。砂漠に新しい星が輝きはじめた。

砂漠の星がみるまに夜空をうめつくし、やがていくつもの流れ星がその中から離脱しては消えた。
星のまたたきはそれらの無言のためいきにも思えた。
今ひときわ輝いた星でさえ次のまたたきには消え去っているかもしれない。
流れ星に願いをすればそれはいつかかなえられるという。 けれどメイホワは命を使い果たして散ってゆくその星たちを哀れにこそ思え頼る気にはなれなかった。
父は星のことを作物の豊凶を占う天からの大切な知らせだといった。
母は星のことを幼くして逝った子たちの汚れなき魂だといった。
兄は星のことを戦で倒れた勇士が帰る安息の地だといった。
けれど夫はなにも言わずメイホワと星を眺めた。 二人のまわりで星は太古の物語を語り、踊り歌い、笑いたわむれ、涙を流しやがて夜明けの曙と戦い消えていった。
もう一度あの頃に戻れたなら..。
空でひとつ星が落ちるとともに地上ではひとつの魂が天に召されて星になるという。
けれどメイホワは天へ召された魂が星になるという伝説をむしろ信じたかった。
もしそれがほんとうなら願いを託すにたるのはむしろ新しく生まれる新星ではないだろうか。 メイホワは強くそう思った。
見上げていると天から降る流れ星はいくた数知れずメイホワの瞳に映り通り過ぎ去ったが、地上よりいでて空高く上る星はついぞ現れる筈もない。
メイホワは長城に到ったことの安堵が、かえって少しだけこれまでの旅の疲れを招いた事に気づいた。
気持ちを奮いたたせようとメイホワはふるさとに伝わる歌を口ずさんだ。

悲しい涙は流れ星

嬉しい涙は一等星

今宵輝くあの星は

誰の流せしいかなる涙よ

メイホワが歌を歌うと長城がゆっくりと身をゆするように動いたかに見えた。
石の間から一羽の鳩が現れ暗い夜空に白い鳩が飛んだ。
鳩はやがて星になった。

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それは遠い過去の戦場の幻だった。
「殺!」
砦の指揮官の号令が発せられ若い兵士は戦いの構えに入った。
うなる投石器と弩弓の一斉射撃、匈奴の騎馬軍団はすぐ眼前に迫る。
長城の砂に埋もれた土器のかけらを手にとった時、メイホワは百年以上の昔この地でそれを使っていた者の記憶が自分の心の中で甦えるのを感じた。
かさかさに干上がり一滴の潤いもない辺境の兵士の心。ただ殺戮だけをもって日常としていた彼の魂がメイホワに幻を見させていた。それは痛々しく哀れな魂だった。
もう安らかに眠りなさい。メイホワは祈った。
敵はどこだ。
過去の亡霊である兵士はなおも兵士たらんとする。
俺を呼ぶのはなにもの?
私はあなたと初めてあうメイホワというもの。私はあなたと同じこの砂漠で同じくひとり夜空を眺め哀しみをわかちあうことができる。
メイホワは亡霊に話しかけた。
けれどもうあなたは充分戦った。今わかちあわなければならないのは苦しみより哀しみよりも喜びと平安そして人間らしい心。
メイホワは祈り続けた。
兵士の魂からしだいに荒々しさが消えていった。
幻の戦場はおぼろにぼやけ灼熱の砂漠はやがて現実の星ふる夜空へと重なっていった。
再び夜空に鳩が飛んだ。
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・・そうしてメイホワは数限りない幻を見た。
ある時は江南のほとりのうららかな春がすみたつ田園風景、ある時は天山の麓の牛や羊群れ集う緑豊かな草原。
長城で使役され朽ち果ててしまった魂がメイホワの心の泉に触れると再び人間らしさを取り戻し、それぞれ自分のふるさとの一番懐かしく一番心地よい情景を心に抱きながら空へ昇華していった。
いったいいくつの魂がそうやって救われただろうか。くる日もくる日もメイホワが長城に眠る霊と語り慰める日々が続いた。
メイホワさん。ある日今しも天に昇らんとする魂が聞いた。
あなたはとても優れて優しい人。けれど私はむしろそれを憂える。私達は供養されて天に昇れるけれどあなたには。あなたには何が残る。あなたには待つ人がいた筈。
たしかにそれはそう。けれど。
「人の生きる目的。それはより優しい心をもつこと。他にはなにもない」
夫がいつも言っていた言葉を彼女は思いだした。
きっとあの人ならメイホワがやっていることをわかってくれるにちがいない。あなたが教えてくれたことを私は今しようとしている。
たとえもはやあなたと今生でお会いすることができなくなったとしても・・。
メイホワは地平を縁どる長城の彼方を見やった。

要塞ウォールから発射されたミサイルは正確に着弾し、メイホワの身体もこなごなに砕けたかと思えたが運と直感と生存本能は彼女をまだ生きながらえさせた。
緊急跳躍ロケットを水平に作動させることによってミサイルが着弾する前に素早く横方向に移動したのだ。 官製戦闘マニュアルには載っていない操作であった。
とっさの思いつきが運よく成功したがメイホワにとってはこれが本当に最後の奥の手、もはやなんの裏ワザも残ってはいない。
こんどであたしも駄目か・・。
決して悔いのある人生ではない。それまで生きてきた二十数年も自分がこの戦争に志願したことも。 でも、さっきの蜃気樓はいったいなんだったのだろう、メイホワにまだ死ぬなと告げたメイホワとうり二つの女性。
あれは昔の私なのかも知れない、もしも人に生れ変りがあるならば・・。
メイホワはなぜか懐かしい気持ちで空を見上げた。その時真昼の空に星がきらりと光った。
爆発の白い閃光がメイホワを包んだ。
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夫を捜すメイホワが長城に到達してから八百年近く過ぎた唐の時代。一人の兵士がその場所に立つ小さな墓碑を眺めていた。
遠い先達が築いた長城。それはもはやこの大唐帝国、民族や宗教の枠を超えた史上最初のコスモポリタン国家には必要ないものとなっていた。
人の往来に制限を課さず新しい異文化を求めるにあたり長城は妨げにこそなれ、なんの益にもならない。
彼は過去ここに投じられたエネルギーの莫大さと、代わりに奪われた真に建設的な事業の機会損失、そして失われた人命の多さを思った。
かわいそうに。ここに眠る者もその犠牲者の一人なのだろう。
優しい兵士は自分が字を読めないことが悔しかった。もし字が読めたなら墓碑に刻まれた死者の名を呼んでしばしの祈りをたむけてやれただろう。
メイホワよ安らかなれと。


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・・間一髪で命びろいした経験は初めてではない。けれどメイホワは混乱していた。
自分が死の世界に迷いこんだのか、それとも。亡者が蘇り現れ出たのか。
上空から稲妻のように黒い塊が急降下してきたかと思うと、次の瞬間にはメイホワの目の前に鎧甲で身をかためた古代中国の武人がまるで石像のようにそびえていた。
武人はメイホワと敵の間に立ちはだかるとなんと腰の長剣を抜きはなち飛来するミサイルを次々と叩き落としていったのだ。
勘の良いメイホワがそれを最新型の戦闘スーツだと悟るのに時間はさほどかからなかった。そして同時にそれが敵軍のものだと知るのに。
ひとしきりの攻撃が止むとやがて武人は剣を手にしたままゆっくりとメイホワの方を向いた。
メイホワは銃を構えた。
二人はしばらく無言で見つめあった。永遠の沈黙が続くかと思われたが、やがてもたらされた言葉はメイホワのすべての記憶を呼び覚ました。 彼女がなぜに西を目指したか、そしてそれが誰の為にであったか。
「遅かったかい」夫である武人はやさしく微笑んだ。
「いいえ。間にあったわ」メイホワも微笑んだ。
「ここにいてくれて良かった。ここなら月の上からだって目印になる」
・・勝つための最良の方法,それは敵を味方にかえてしまうことであると紀元前の戦略思想家は説いた。
今、休戦協定が結ばれ平和が訪れた事をメイホワは知った。
メイホワは勝ったのだ。
砂漠の蜃気樓は時に人影さえも映し出す。
遠い砂塵の彼方に、長城とメイホワと夫の姿が浮かんだ。
けれどその蜃気樓が二人と違った衣裳を纏っていたことに気づく者はいなかった。もはや誰も知ることない二千年前の王族の衣裳を。

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