黒い瞳のステラ1967年夏

 SUTERAのことを僕たちはスーと呼んでいた。
でも後になって聞いた話ではSUTERAというのも彼女の本当の名前ではなく、それはスーがこのイングランドへ来る途中、KOBEという港へ寄った時そこの日 本人につけてもらったものらしい。
スーの本当の名前を英語っぽくしたものだというが、それがどこまで彼女の元の名前に近いのか今ではもうスーの本当の名前を知ることはできない。
SUTERAという発音をどう解凍すれば原音に戻るか僕は今でも知りたいと思っている。
言葉のまったくわからない東洋の女性をメイドに雇った僕の両親だけれど、それほど僕の家も裕福というわけではなかったし、特に手がまわりかねるほどの忙しさもなか った。
きっと親達はなにか別の意味があってスーを家に呼んだのだろう。僕の父はこの町で大学の教授をしていて東洋史が専門だった。家の中にはあれこれとわけのわからない 置物や東洋のみやげ物がところせましと並べられて僕は生まれた時から慣れっこにはなっていた。でも実際に東洋人を見ることはそれまでぜんぜんなかったんだ。
ある夏のはじめのよく晴れた夕方にスーはやって来た。黒い髪に黒い瞳。それは今だからいうけどびっくりするほど黒いもので、その時クラスで一番黒い髪をしてい たヘンリーよりもさらに黒かった。
背の低いまるで子供のようなその東洋人の女の人はなにも言わず首をうなだれていたので僕は彼女がなにか懺悔でもしてるかのように思えた。だってこの国では悪人でさ えめったにそんな態度をすることはない。そんな態度をするのは自分で自分の非を認めた時だけだ。
でもそれは僕の思い過ごしだったみたいだ。じっと顔をのぞき込んでいた僕と視線があうとスーは子リスのように笑った。
彼女のふるさと中国ではどんな名前がSUTERAになるのか誰か教えてくれないだろうか。

赤いサンザシの実を包んでくれたのは古い新聞の切れ端だった。
まわりが薄いキャンディーに覆われて甘いけれど中身はとっても酸っぱいその実。
スーは国から持ってきたわずかな荷物の中からそれを取り出すと僕にくれた。
リンゴでもなければプラムでもない、サンザシというその実を口にしたのはたった一度だけなのに僕にとってそれはずっと懐かしい味となった。
共に教師であった両親はいつも仕事から帰るのが遅く、最初から僕とスーは一日の大半を一緒に過ごすようになった。 今になって思えば生活習慣の違う異国人にまだ幼い子供であった僕の面倒を見させたのだから親たちも冒険をしたものだと思う。いや、彼らには彼らなりの考えがあったのかもわからないが。
東洋人らしくスーは普段はとっても大人しく控え目だったが、僕は彼女の黒い瞳が口から発せられる言葉以上にいろいろな事を話すのを知っていた。
僕の記憶の中で、スーはだから最初から言葉を喋っていたようにしか思えない。
ビリーの家の飼犬トッツィーが屋根の上に登って降りてこれなくなりとうとう煙突からススだらけになって助け出されたことを僕が話した時、スーはたまらなくおかしそうに笑ってくれたし、スーが困った時は僕も落ち着かなくてなんとかできることはないかなんていつまでもスーの黒い瞳をのぞき込んだものだ。
実際、幼い僕とスーが一緒に教えあうことはとっても多かったと言える。スーはよく英語の綴りを練習していたがそれは僕が学校でやるような簡単な単語ばかりだったので時には僕がスーの手助けをしたこともある。その時僕は自分がちょっと偉くなったような気がした。
でもたまにこんなこともあった。僕が学校の宿題をしているとノートに余白がなくなってどこにも書けなくなってしまった。するとスーはそれを見て驚いたことに文字を横の空いた部分に縦に並べて書いたんだ。
学校の先生が誰も教えてくれなかったその書き方を僕はものすごい発見だと思い次の日の教室で得意気に黒板で披露した。
結果はどうだったかって?。もう廊下に立たされたくはないから僕はそれから学校では縦書きをしないようにした。先生達は僕がふざけてると思ったんだな。
スーの国がいったいどのへんにあるのか、その頃の僕には世界というものがなんなのかまったく理解することは出来なかったが、時たまお父さんがスーに彼女の国の新聞をどこからか手に入れてきて渡すことがあった。
とってもとっても複雑な活字、それは古代の象形文字の一種だったけれど、僕には縦書きのその新聞がすごく珍しくて、新鮮だった。
僕は意味のわからないまままるで絵のような文字の一つ一つをくいいるように目で追って、ふいに気がついた。
スーの目に涙が浮かんでいるのを。
スーの国がその頃決して良い状態ではなかったことを知ったのはそれからだいぶ後のことであった。

レースのカーテンを風が揺らしまぶしい日差しが白いペンキを何度も塗り直す頃小さな僕の町にも夏がやってきた。
日没は日をおうごとに遅くなり夜の9時になってもまだ明るい戸外で人々は誰もが太陽と友達になろうと努めた。
ひさしぶりにエジンバラのおじさんがやってきた日。僕の家ではバーベキューパーティーが開かれそれほど広くない庭にそれでも20人程の知人や親戚が集まった。
スーはいつものように質素な木綿のズボンを穿いて甲斐甲斐しく料理を運んだり地元でつくられたワインを注いでまわったりした。そしてそんなスーの姿に興味を持ったのはエミリーおばさんだ。
おばさんにはちょうどその時スーと同じくらいの年頃の娘がいたからかもしれない。
エミリーおばさんは僕の両親にスーのことを尋ねた。 おそらく最初はどこの国から来たのかとか名前はなにかとかいう他愛のないことだったろう。 けれどしばらく話しているうちに急に驚いた表情になり、少しの間考えこんでから、まるで自分の娘を見るようないたわしげな眼差しでスーを眺めて、なにを思いついたのかほとんどスーの手をひっぱるようにして一緒に家の中へ消えていった。
僕はスーのことをちょっと心配したけれどエミリーおばさんはとっても賢くて優しい人だったからきっと悪いことではないだろうと思うことにした。
やがて現れたスーをみてその場にいた全員が声をあげた。それほどその赤いドレス、それは本来エミリーおばさんが自分の娘の為に買ったものだったが、驚くほどスーに似合っていたのだ。
大きく胸元の開いた、でも若い女の子ならその頃でさえそれほどめずらしいというものではなかったのにスーは顔を真っ赤にして恥ずかしがった。
その時僕は子供だった。けれど今になってあの時のスーがどれほど奇麗だったかを信じられないくらい鮮やかに思い出す。
まるで東洋のプリンセスのようじゃないか。
誰かがそう評したのを受けて他の誰かが昔、中国に本当にいた有名な美しいプリンセスの話を始めたが、名前が浮かんでこない。
父がスーになにかを言うとスーは小さな声でその名前を答えた。
僕らにはとても発音しにくいその名前にみんなはかわるがわる挑戦したがどうしても似ても似つかなくなるために最後は大笑いとなった。スーも顔をあからめたまま一緒に笑った。
けれどその時スーについて僕が気がついたことが一つある。それはスーが僕以外の大勢の前で本当の笑顔を見せたのはその時が初めてだったということだ。
そしてそれは最後でもあった。

スーと一緒に一度だけロンドンへ出かけたことがある。ロンドンにいるというスーの友達を訪ねていった時だ。
チャイナタウンへはその時が初めてだった。まるで魔法の国のような不思議な色や形。赤い門に黒い文字。 そして街のあちこちで目を光らせているいろんなドラゴンたち。
けれどスーはまるで避けるかのようにそこを過ぎると僕を近くにあるあまり清潔とは思えない場所へ急がせた。チャイナタウンとすぐ隣どうしのその街ソーホーへそれ以来二度と足を踏みいれたことはない。
スーは友達の故郷での名前しか知らなかった。
シャンハイから来た東洋人の女性。その人がエレーンという名で呼ばれていることがわかる頃にはスーの顔から懐かしい友人に会えるという期待はなかば不安にかわっていた。
派手な化粧と強いコロンの香り。彼女の仲間だという女性達の言葉からはスーが見せてくれた写真の中の三つ編みの女学生の面影は想像できなかった。
会わないほうが良かったのかもしれない。
一軒の酒場でエレーンは人待ちをしているかのように座っていた。

エレーンは最初、スーを見てもそれが誰であるかわからないようだった。
写真の中の昔のエレーンは本を読みすぎた学生のようなまん丸い大きな眼鏡をかけてたからもしかするとそれはふりではなくただの近視だったのかもしれない。
でもスーが彼女にエレーンでなく彼女の本当の名前を投げかけた時エレーンの表情は変わった。
僕がその時の二人の会話を覚えているのはエレーンがなぜか英語でスーに話したからだ。
久しぶりに異国でめぐり逢った友人に母国の言葉ではなく異邦の言葉で話し続けたエレーン。その心境はなんだったのだろう。
エレーンはふるさとを捨てようと思ったのかもしれない。
その頃スーたちの国では大きな政治運動が人々の生活の全てを支配していた。それは子が親を告発し兄弟どうしが敵となるほどの激しいものだったという。
「あんたの両親を見殺しにしたのはあたし」
エレーンはたしかにそう言った。それが果たして何を意味していたのか。 ただ言えることはエレーンがかつての親友であったスーに最後まで他人のような態度をとったという事だ。
その時僕は幼かったからわからなかった。けれどそれからいっぱい多くの笑顔と憤怒と悲しみを見てきて今ならわかる。
エレーンのそれは償いの表現だったのだ。
僕はエレーンの為にではなくむしろさびしげな様子のスーを思いやりせいいっぱいの元気さで僕の知っている彼女達の国の言葉を、別れ際にエレーンに投げかけた。
エレーンが微笑み、同じ言葉を返してくれたことは僕にとってとりあえずの心のやすらぎを与えてくれた。
エレーンがその時一度だけ口にした中国語。たとえそれがさようならだったとしても。

遠い船の汽笛がよせてはかえす丘の上で、沖を通る貨物船を眺めながらスーは歌を口ずさんでいた。
僕がたずねるとスーはそれを革命の歌だと言った。エレーンと一緒によく歌ったのだという。
「スー、革命ってなんなの」
「わからない」
スーはすぐさま答えた。それはこれまでも長い間考えてきたけれどとうとう答が出なかった。そんな言い方だった。
「革命っていうのはね。料理を作って友達を招くことでも刺繍をすることでもないの。」
本を暗誦するようにスーは言った。
僕は歌の内容を聞いた。
「東の空が紅く染まってお日様がのぼる時、英雄が現れて悪い王様をこらしめて、みんなを助けてくれるという意味よ。それから」
スーは少し間をおいてからつぶやいた。
「それから今度はその英雄が新しい王様になるのよ」
「それが革命なの?」
スーはなにも答えなかった。そしてしばらく黙ったかと思うと急に僕の顔にほっぺたをくっつけて僕の髪をくしゃくしゃにしながらなにかを言った。
その時の言葉を今はもう正確に思い出せない。スーはとても長い話をしたけれど結局のところ僕が理解できたのはほんのわずかだったような気がする。 ただはっきり覚えてるのは最後に僕はスーを信じると答えたことだけだ。
ねえスー、あの時君は泣きながらとても大事な話を子供の僕にしたんだよね。
僕は出来るならどうかもう一度君と話がしたい。
黒い瞳のスー、今もあの丘で懐かしい歌を口ずさんでいるのだろうか。
芝生の下で船の汽笛を聞きながら。

そしてひと夏の夕立とともにスーは去った。
遠くの祖母の元へ数週間行っていた僕が戻った時,すでにスーの息づかいは家の中から消え去っていた。いつもスーが使っていた赤い花柄のポットとともに。
僕は親達に激しく抗議した。どうして僕の知らないうちにスーを帰らしてしまったのか。
それは僕にとって生まれて初めての道理ある反抗だったと言えるだろう。
母はひとしきり僕をなすがままにさせた後,やがてエプロンのポケットから一通の手紙を取りだした。
スーが独特の字で書いたそれには、ただ一言だけこうあった。
「あなたの両親を信じて」
その言葉の意味するところがその時僕に理解出来たとは言わない。 僕はただスーがいなくなってしまったことだけが悲しく,また僕に黙って行ってしまったスーが無性にうらめしかった。
夏の終りの公園でそれでも僕は今にもスーが現れるのではないかといつまでも待ち続けたものだ。小さなリスが何度も足元を走りまわったのを覚えている。
・・やがてあれから20年以上の月日が流れた。
スーが国へ帰ったという嘘。
死の寸前に彼女がどうしてそんな嘘を託さねばならなかったか,僕にとって成長の節目ごとにその答は違ったものとなった。
自らが信じた理想が逆に肉親を不幸に陥れたことがスーにそう言わせたのかも知れない,またただ単に僕を悲しませたくなかったのかも知れない。 おそらくそれは両方だっただろう。
とにかくこうして1967年の夏は終った。
僕にとっての永遠の夏が。

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