17年前、江蘇省にいた時、私は一人の優秀な女子学生と知り合った。たぶん天性の才能だろう。
まだ18歳なのに完璧な日本語を話した。しかも私と会うまで日本人と話した経験がほとんど無いと言うのだから更に驚きだ。
とても丁寧で正確な日本語を話す彼女は卒業後日本の著名な企業に通訳担当として就職した。私はこれで彼女の前途は安泰だと思ったのだ。
が、しかしどっこいそうは問屋が降ろさなかった。
久しぶりに会った時に彼女はどうにも気に触るような言葉が口癖になっていた。
それは「あのさぁ」という口癖である。中国語では“我跟你说”に相当するだろう。
おそらく会社の日本人担当者の口癖を、そのまま《上手な口語表現》だと思って覚えたに違いない。
「先生あのさぁ、このあいださぁ~」「あのさぁ、もう困っちゃってさぁ」。
もちろん私は彼女より年配である。もしも私に年頃の娘がいたらこんな感じだろうなあと思った。
つまり「あのさぁ」は家族か或いは非常に関係が親密な相手にしか使わない表現である。
もしも、彼女が仕事で顧客に対して「あのさぁ」を口にしてしまったらおそらく彼女の昇進の可能性はゼロになるだろう。
あの通訳は非常に失礼だ、と顧客からクレームが来るかもしれない。 彼女の不幸は会社の中で誰も彼女の日本語を訂正してくれる日本人がいなかったことだ。
私が何度も書いていることだが、「誤りを逐次訂正してくれる会話」でなければいくら会話練習しても意味がない。
ただ単に誤りだらけの外国語で会話するのは「言葉の垂れ流し」でしかないのだ。
もう一例挙げよう。私が17年前にいた江蘇省の都市は比較的小さな都市だったので日本企業の男性駐在員はほとんど単身赴任であった。 つまり日本人女性はゼロに等しいということだ。
するとどんな事が起こるか。
その街で日本人がよく集う日本料理屋の経営者はまだ30歳ぐらいの女性だったが、その人は日本語の男性言葉だけを覚えてしまうのだ。
彼女は明るくて感じの良い女性だったが、ある日店に行くと、「吉田さん、久しぶりだなあ、最近何してたんだ」と言われ、私は目が点になってしまった。
アニメの世界では男性言葉を使う女性キャラは珍しくないが、実社会ではせいぜい20歳前のあまり教育水準の高くない女の子ぐらいだろう。
だが、外国人と楽しい会話をしている時に「あなたのその日本語の文法は間違っている。その単語はとても失礼だから言ってはいけません」と指摘することがどれほど難しいか。 迂闊に言えば相手は面子を失ってしまう。
私は仕方なく、後でそっと紙に書いて渡した。
「××さん、あなたの言葉は女性が使う言葉ではありません。私は一応日本語教師なので、注意を促さすにはいられません」と。
私はそれからすぐにその街を去ったので、彼女がそれからも男言葉で話し続けたか、或いはちゃんとした上品で丁寧な言葉に直したかは確認していない。
くどいようだけれど私は何度も言いたい。外国人と会話して会話能力を上げたいなら、必ず自分の言葉の誤りをその都度直してくれる外国人と話しなさいと。「間違った言葉の垂れ流し」を何年しても意味がないのだ。
外教日記其の壱拾参《日本語会話の落とし穴》
コメント